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Posted by TI-DA at

2022年12月31日

夢の架け橋を歩いた10年 ~その先へ~

あの日から今日でちょうど10年。

あの日とは、夢の架け橋の端っこに立った日。
このBlogを 締めくくった日だ。
そしてちょうど10年後の本日、沖縄での事業をすべて終えることで
夢の架け橋を渡り切ることになった。

10年を振り返れば本当にさまざまなことがあり、この生き方をしなければ
決して出会うことがなかったであろう多くの素敵な人たちとの出会いがあり、
決してできなかったであろう貴重な経験をさせていただいた。
また、決して良いことばかりではなく、移住することで見なくてよいものを
目にすることもあり、聞かなくてよいことが耳に入ることも事実。
しかしながら、すべてひっくるめて代えがたい、宝となる10年間であることには
間違いない。

ここでの生活を始める際、最初に決めていたことがふたつある。
ひとつは、宿のオーナーとなる以前に、ここの住民になることに努めるということ。
そのために地域の作業や会合、行事等、すべては無理にしても出来る限り
参加するということから始めた。
ふたつめは、夫婦二人だけでできることをするということ。
事業内容について企画する段階で、例えば10のことを考えていたとして、
実際に行ってみると7つのことしかできなかったとする。
であれば、夫婦二人の能力は7つまで、残りの3つのことをヘルパーさんを
雇ってまでカバーしたりはしない。
夫婦二人だけでこの7つのことを精一杯やろうということだ。

しかし、宿も軌道に乗り、気持ちにも時間にも余裕ができてくると、できなかった
残りの部分にもチャレンジできるようになる。
そして、当初からぶれないコンセプトで真剣に取り組み、情報を発信し続けると
それをちゃんとキャッチしてくれる人が現れ声を掛けてくれる。

思えばこの構造は、沖縄に移住する前、その準備のためにさまざまな
活動を行っていた10年間と何ら変わらない。
大切なことは、何をするかではなく、どう生きるか、どう考えるかである。
最上位に「目的・使命」があり、その下にそれをどのように達成するかという
具体的「手段」があるべきなのだ。

夢の架け橋を渡り切ったという意味は、沖縄で描いてきた「手段」を
手放すということであり、自分の中にある生き方・使命は決して変わらない。
これから考えるべきは、次のステージでの新たな「手段」である。

沖縄での活動で学んだことは、どんなに小さく、無名な地域にも
必ず物語があるということだ。
その物語は、その地域の成り立ちや気候といった自然と歴史の大きな
うねりに影響を受けながら育まれた文化や人々の暮らしである。
宿泊業とともに行っていたガイド業では、色々なメニューのツアーを用意して
いたが、すべてに共通していることがこの物語を伝えることだ。

やりたいことはまだまだたくさんあるが、これからの「手段」は、今はまだ
まったく決まっていない。
しかし、これから住む地域の物語を学び、それを何らかの形で伝えることを
引き続き行っていきたい。
色々なパーツを嵌め合わせるジグゾーパズルのように、頭の中にある「やりたいことパーツ」を
嵌め合わせ、「伝える手段」を決めていきたい・・漠然とそんなことを思っている。


そのため、全国のさまざまな地域の物語を知る旅にでようと思う。
どんな人がどんなことを、どのように伝えているのかも知りたい。
そして、その旅の途中どこかでみなさんとお会いできれば嬉しいです

2023年を迎えようとしている今、そんなことを考えています。

              2022.12.31
                 沖縄 今帰仁村 あがいてぃーだにて


【ご挨拶】

それまで会社勤めしか知らず、移住先の沖縄に身内がいるわけでもなく
宿経営などまったくの未経験夫婦が、それでもこれまで何とかやって
くることができたのは、ひとえにお越しいただいたお客さまは勿論のこと
温かく受け入れてくれた地元のみなさん、サポートいただいた観光関連の
みなさん、昔と何ら変わらず応援してくださっていた友人・知人・親戚の
みなさん。。  挙げればきりがないほど多くの方々の支えのお陰だと、
心から感謝申し上げます。
本当にありがとうござました。

お客さまに関しては思い出が溢れるばかりです。
・毎年必ずお越しいただいたお客さま
・年に何度もお越しいただいたお客さま
・宿でプロポーズをされ以降毎年結婚記念日にお越しいただいたお客さま
・台風による停電の中、ランタンの灯りを囲みシーサーつくりをしたお客さま
・シーカヤックやトレッキングを通じ、お子さまの成長の瞬間に立ち会うことができたお客さま
・お部屋にお礼のお手紙を残してくれたお客さま
・お子さまが恥ずかしそうに我々にお手紙を渡してくれたお客さま
・観光で外出されているとき「おうちに帰りたい」と、当宿のことを「おうち」と言ってくれたお客さま
・宿で我々と一緒に食事したいといってくれたお客さま
・夜一緒に飲みましょうとお誘いいただいたお客さま
・宿泊が重なった3組のお客さまのお住まいがすべて半径5㌔以内にあったというお客さま
・宿泊が重なった2組のお客さまのお母さまどうしが高校の同級生だったというお客さま
・「行ってきます」と言ってチェックアウトし、翌年「ただいま」といってチェックインされたお客さま
・お子さまが我々とお話ししたいといってダイニングルームまでお話しにきてくれたお客さま
・集落ガイド中、美しい海を目の前に満面の笑顔で顔を見合わせた耳の不自由なお客さま
・拙い英語で汗流しながら必死にツアーガイドをしたことに大変感動して下さった海外のお客さま
・地元のお菓子をお土産に持ってきてくださったお客さま
・一緒にお散歩に出かけたら、お子さまが手を繋ぎたいと言ってきてくれたお客さま
・ふたりのお子さまどうしが仲良くなり過ぎてどちらがどちらのお子さまかわからなくなった2組のお客さま
・帰宅後に旅の思い出アルバムをつくって送ってくださったお客さま
・夜お子さまが熱をだされ、名護の救急病院まで一緒に行ったお客さま
・出演させていただいたテレビ番組を観て宿泊いただいたお客さま
・自分の生き方に共感いただき、是非お話を伺いたいと宿泊いただいたお客さま
・同じように会社を早期退職し田舎暮らししたいと夢見て、アドバイスが欲しいと宿泊いただいたお客さま
・お子さまが、また沖縄のおじちゃん・おばちゃんのところに行きたいと言ってリピートいただいたお客さま
・お子さまが、また沖縄のじいじ・ばあばのところに行きたいと言ってリピートいただいたお客さま

まだまだ書ききれません。
すばらしい10年間でした。

本日あがいてぃーだの役目は終わりますが、みなさまにおかれましては沖縄と今帰仁を引き続き愛し
ここで素敵な体験と発見をしていただければ幸いです。
ではみなさま、
お元気で! さようなら。
                                 杉本 達哉・知依美  

Posted by tatsuya at 18:24Comments(0)

2012年12月31日

エピローグ - 夢への架け橋 -

"そろそろ夢を叶えようと思う"

このBlogのプロローグの書き出しである

"夢"とは沖縄に移住することだった

移住することだけが夢であるならば
確かに夢は叶ったことになる


しかし、いま思う
『夢の架け橋』の端っこに立っただけ

この橋は、渡り切りそうなときまた伸びる
常に夢の先には次の夢がある

いまはただ、目の前に伸びるこの橋を
これまで同様一生懸命歩いていこうと思う

                    2012.12.31 沖縄 今帰仁村にて


【ご挨拶】

これまで出会い、支えていただいたすべてのみなさまに心から感謝いたします
本当にありがとうございました

何かをしようと思ったとき、あるいはしなければならないと思ったとき
それが困難であればある程、とかく人は出来ない理由を並べます

しかし大切なことは、それが本当にやりたいことであるならば
出来ない理由を並べるのではなく、どうやったら出来るかを
真剣に考え、まずは一歩踏み出すこと

そうすることで、必ず必要なときに必要な人に出会い
手を差し伸べてくれる

これまでの活動を通じ学び、実感したことです

これから新天地でこれまでとは違う人生を歩きだします
きっとぎこちない歩みになりますが、自分の選んだ道に
言い訳せず、一期一会を大切にしていきます

いつまでも温かく見守っていただければ幸いです
今後ともよろしくお願いいたします

                           杉本 達哉



  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月30日

第五十九話 - 組織と個 -

2010年の年明け間もなく
僕は沖縄への移住スケジュールを明確にし
さまざまな具体的準備を開始した

そして2011年11月11日、
会社に早期退職の意思を伝え、
2012年12月12日、正式退社

ついに28年8ケ月12日間のサラリーマン生活に
ピリオドを打った


人生の半分以上もの長い時間身を置き、
いろいろな意味で守られてきた組織から
飛び出してしまったのだ


『個』で歩く人生が始まった


  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月29日

第五十八話 - エコツーリズム -

「観光」という言葉を考えてみる

「光」を「観る」
と書いて「観光」


「光」とは、その地域にある「光り輝くもの」、
つまり自然や歴史や文化、そこに生きる人々の生活の知恵など
後世に受け継いでいかなければならないかけがえのないもの
ではないかと思うのだ


そしてそれを「見る」のではなく「観る」、
つまり体感し、感じて気づくこと

これが本来の観光なのではないかと思う


「エコツーリズム」とは、自然環境や歴史文化など、その地域固有の
魅力を観光客に伝えることにより、その価値や大切さが
理解され、保全につながってゆくことを目指すしくみと定義される

僕が生業とする宿業は観光業でもある
エコツーリズムという生き方は、本来の観光のあり方
そのものではないかと思う

  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月28日

第五十七話 - これからの生き方 -

20代の頃から漠然と抱いていた
"自然の中で暮らしたい"という夢

この夢は、
- 沖縄今帰仁で小さなお宿を経営する
という具体的な形で叶えることにした

結局この具体的な"生業"の考えは24年間変わらない


しかし、明確ではなかった"生き方"は、これまでの
活動を通じ明確になったと思う


『エコツーリズム』

これが僕がこれから歩く道だ

  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月27日

第五十六話 - "夢"の場所決まる -

2009年9月
僕は土地売買契約のため再び沖縄に来ていた

7月に出会った今帰仁の土地には、その後8月にも訪れ
最終確認をした
その結果、9月に契約をすることにしたのだ


いよいよだ
二つ目の場所探し
ついにその場所が決まった
しかもその二つ目の場所こそが、24年前から抱いていた
"夢"を叶えるための拠点となる場所なのだ


- 辿りついた!

そんな気持ちでいっぱいになった

  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月26日

第五十五話 - 今帰仁との出会い -

2009年、二つ目の場所探し
沖縄での"土地探し"を、何度か沖縄に通い
本島北部を中心に行った

名護市、本部町、今帰仁村・・

何人の不動産屋さんと、いくつの物件を巡っただろうか??

環境や土地の大きさ等、いろいろな要件を抱えながら
なかなか希望に叶う物件が見つからない

そんな中で今帰仁村の物件を見て回った時のこと、
案内してもらったその土地は80坪とかなり小さい

- ここもダメかー

そう思いながら、ふと奥の方に目をやると海への降り口と
その先に真っ青な海が見える

- こんなにも海に近いんだ

さらによく見ると、海への降り口の手前に立て看板があり
『売地』となっているではないか!

俄かに気持ちが高ぶってくる

そこまで案内してくれた不動産屋とはそこで別れ、
すぐにその海の降り口まで行ってみる

100mほどのビーチはほぼプライベートビーチ
そして肝心の、"売地"となっているその物件は
海に面して広がる十分な広さの土地だ

すぐさま看板に書かれた不動産屋の電話番号に電話をし
翌日この現場でお会いすることになった


その時点ですでに、99%自分の気持ちが固まる
明日が待ちきれない

2009年7月のことだった

  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月25日

第五十四話 - 子ども遊牧民キャンプ -

このキャンプを「子ども遊牧民キャンプ」と名付けた

2009年7月を第一回目として、その後2011年までの3年間
毎年恒例の事業となった

参加した子どもが翌年友達を誘ってまた参加してくれたり
次回の開催を楽しみにして問い合わせのメールやお電話を
いただいたり、なかなかの好評のイベントだ


このキャンプでは、自分たちで薪を割り、焚火を起こして
料理をしたり、ドラム缶風呂を沸かして入ったりする

当然刃物を使い火を扱う
スタッフは正しいやり方を教えたらあとは彼らを見守るだけ
本当に危ないときだけ口を挟む

あるルールの中で彼らは自由なのだ

自由とは好き勝手やることではない
だからルールを守らないと痛い思いもする
それも自分の責任だ

"責任を持った自由"
キャンプ生活を通じたこの体験が子どもたちには
新鮮だったなのではないだろうか!?
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月24日

第五十三話 - 新しいドラマの幕開け -

吉良の赤馬牧場には、木曽馬が三頭いる

そして牧場内にはシンボルとしてモンゴル遊牧民の
移動式住居であるゲルがある

聞けば木曽馬の祖先はモンゴル馬とのこと
それもあって、モンゴルより本物のゲルを輸入し
設置されたそうだ

遊牧民の疑似体験キャンプを目指す僕としては
これほど条件のそろった牧場はない


キャンプ開催時期は、オーナーの希望で子どもの
夏休み期間中とした

乗馬スタッフはオーナーにお任せし、あとはキャンプスタッフだ

こちらは夢の架け橋実行委員会メンバーから数名に
お願いすることにしていた

新しいフィールドで行う新しい事業
ここでまた新しいドラマが作られると思うと心が躍った
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月23日

第五十二話 - 出来過ぎた話 -

その牧場の名前を、
『吉良の赤馬牧場』と言った

三河湾に面した幡豆郡(現西尾市)にある牧場で、
最初のイベント「シーカヤックで無人島に渡ろう!」の会場に
非常に近い場所である
この地域に深いご縁があるようだ

牧場に着くと、馬の世話の最中だったオーナー河井さんが
出迎えてくれた

自身と団体の紹介の後、昨夜慌てて作った事業企画書をもとに、
さっそく企画内容と牧場にお願いしたいことをお伝えする

とても穏やかで優しそうなオーナーは、一通り僕の説明を聞くと
自分も同じようなことをやりたかったと言ってくださった

- 僕は馬の世話や乗馬の指導はできるがキャンプ指導はできない

僕はその逆だ

- キャンプ指導ができる人がいてくれると とても嬉しいです

こんな出来過ぎた話があってよいのだろうか!?

お互いが必要としている人とは引き合うと言うが
まさにそのことを実感した
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月22日

第五十一話 - 希望の灯 -

2009年5月のある日、
新聞の地方版で、ある記事が目に留まった

馬を引く男性の写真が載ったその記事には、
県の職員だったその方が、定年退職後に
昔からの夢だったという「木曽馬のいる牧場」を
オープンさせたということが書かれている

- これだ! 何というタイミングなんだろうか

そう思うと、すぐ問合せ先の番号に電話をしていた

- 一度来ていただいて直接お話し伺います

実は、牧場探しは半ば諦めかけていたこともあり
事業企画書をまとめていなかった

それをまとめてから、翌週ゆっくりとお会いしようか・・
そうも思ったが、それではこちらの真剣さが伝わらないし
何よりも、希望の灯をつけてくれたその方に一刻も早く
お会いしたいと思った

- 明日お伺いします

思わずそうお約束してしまった
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月21日

第五十話 - 新たな事業 -

2009年を迎えると、新しい事業に取り組んだ

キャンプ事業である

僕が考えるこのキャンプは、馬を家畜動物として馬と一緒に暮らす
遊牧民の生活疑似体験キャンプだ

家畜動物は野生動物と違い、人が手を掛けてあげないと
生きてゆくことができない

その代わり、食肉・皮・労力の提供や"癒し"といったさまざまな
恩恵を与えてくれる

そんな人と家畜動物との関係を実体験を通じて気づくキャンプを
行いたいのだ

そのためにはまず、その趣旨を理解いただけるところであること、
そしてキャンプ期間中貸切にでき、馬の世話と乗馬指導を行って
いただけるところであること

しかし、そんな都合のよい牧場が果たしてあるのだろうか!?

思いつくのは・・
観光牧場や乗馬クラブくらいだった
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月20日

第四十九話 - 二つの場所探し -

2008年は"夢の架け橋"一色で終わった

あの達成感と高揚感、そしてそこから沸き起こる感動
その中でいつまでも浸っていたかった


しかしそうも言ってはいられない
もう翌年以降のことを考えなければならない

それには大きく二つあった

一つは自然塾で開催したかったキャンプ事業
もう一つは沖縄での土地探しである

キャンプ事業としては、馬を家畜動物として一緒に生活をする
遊牧民の疑似体験キャンプをやりたいと思っていた

それには協力してくれる牧場が必要だ
まずはそんな牧場を探さなければならない

そして沖縄の土地探し
2005年に自転車で沖縄を旅した結果絞り込んだ
沖縄本島北部で本格的な土地探しをしたかった

2009年はそんな二つの"場所探し"になりそうだ
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月19日

第四十八話 - 最高の仲間 -

イベントが終了し、すべての参加者を見送った後、坂本達氏も含め
スタッフ全員が長誉館に残って座談会を開いた

メンバーの多くは、坂本達氏そのものに興味をもちこのイベントに
参加している
イベント中はその氏と十分に話す機会がないスタッフのことを思い
そのような時間を設けたのだ


そして座談会も終わりの時間が近づき、締めくくろうとしたそのとき

 - Happy Birthday to you~♪

みんなの合唱が始まった
僕に向けてのバースデーソングだった

その瞬間に止めどなく涙が溢れる
みんな知っていたのだ


まだ一人で企画を温めていたときのこと、
スタッフを集め始めたときのこと、
スタッフが決まり活動を始めたころのこと、
孤独感に包まれた時のこと、
そして今日、みんなでイベントを成功させた瞬間のこと

走馬灯のようにこれまでのことが頭の中を駆け巡った


メンバー個々がどんな気持ちで活動に参加してきたのか?
或いはイベントが終っていまどんな気持ちでいるのか?
正直僕には本当のことはわからなかった

"想いが一つになった"と表現することがあるが、そんなことは
ひょっとしたら僕の勝手な自己満足なのではないか!?

そんな気持ちに支配されることもあった
しかしこれだけは断言できる

- 僕は最高の仲間に恵まれた!
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月18日

第四十七話 - ひとつになった想いの力 -

イベント構成はこうだ

 第一部(午前) :
  【サイクリング】 坂本達さんと走ろう! 世界一周体験

  岡崎市内の約30キロのコースを世界一周に見立て、参加者は
  手作りパスポートを持参して走る
  途中に設けた3ケ所のチェックポイントは、坂本達氏が実際の旅で
  最も印象に残っている国として選んでいただいた、
  ブータン、チリ、ギニア の3ケ国
  チェックポイントに入る(入国)するには、それぞれの国の言葉で
  "こんにちは"と挨拶をしてから、パスポートにスタンプを押してもらう
  チェクポイントは単にスタンプを押し、休憩するだけの場ではなく
  各国の特徴を生かした趣向が凝らされている

 第二部(午後) :
  【講演会】 やった。自転車で世界一周55,000㌔ 世界が教えてくれたもの

  場所を同じ岡崎市内の旧酒蔵「長誉館」に移す
  参加者はサイクリングに参加しなかった方も対象として募集
  講演会会場は、酒蔵時代に酒樽を貯蔵していた二階部分で
  一階では講演会が始まるまでの休憩エリア、坂本達氏が旅で
  実際に使用したグッズや写真パネルの展示エリア等を設けた
  講演会は、講師が一方的に話すのではなく、こちらも趣向を
  凝らした内容になっている

・・と、このように今だから書ける内容も、実は主催者である僕自身
当日開催してみて初めて知る内容ばかりだった

ここで書き切れなかったことも含め、これらみんな実行委員会メンバーが
知恵を絞り、工夫を凝らして仕上げた内容なのだ

想いが一つになったときのパワーの凄さを感じた瞬間だった
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月17日

第四十六話 - 夢を形に -

2008年10月12日は爽やかな秋晴れに包まれた

『坂本達さんと走ろう! 夢の架け橋』

いよいよイベント当日がやってきた

約4ケ月を実行委員会メンバーと準備をすすめてきた結果、
一人の夢がスタッフ全員の夢になり、それが形となってスポットライトを
浴びる日がやってきたのだ


実はこの日を開催日を置いたのには特別な理由があった

坂本達氏と出会ってちょうど5年目であり、同時に自分の誕生日
そんな日を、ひっそりと自分へのお祝いイベントとしたかった

しかしこの思いが、実は大きな嬉しい誤算であったことを
イベント終了後まで知らなかったのは自分だけだった

  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月16日

第四十五話 - 孤独な主催者 -

夢の架け橋実行委員会の活動が加速する

具体的な企画が固まると製作作業も始まった
想いがどんどん形になってゆく

メンバーはもう自分たちで計画を立て、本番に向けての準備を
すべて自分たちで進めていった

一方僕は、主催者としてやるべきことがたくさんあった
役所を含めた対外的な交渉、講師である坂本氏とのさまざまな調整や
イベントの広告・告知内容の検討、安全確保等々
特に安全に関しては、何かあった場合すべては主催者である自分への
責任が問われる

これらは自分でやるしかない

笑顔が溢れ楽しそうに活動する実行委員会メンバーを横目に
僕は一人での行動が多くなる
当日使う、"形"となった実際の作品も見る機会がなくなった

メンバーのつながりが強くなるにつれ、また自分が知らないところで
イベント準備がすすむにつれ、孤独感に包まれていることを感じた

やはり主催者と委員会とは立場が違うのだ
これが主催者の宿命である
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月15日

第四十四話 - リアルなコミュニケーション -

活動も2ケ月を過ぎたころ、活動の進め方に問題が出てきた

仕事やプライベートの都合で各班のメンバー全員が集まることができず
限られたメンバーの活動になってきてしまったのだ

加えて企画に関わる班は、自分たちで企画できる楽しさがある反面
どこまでを決めることができるのか、本当に自分たちで決めていって
しまってよいのかという不安にも陥ってくる

一方、参加できないでいるメンバーは進捗や決定事項をメール等で
確認するだけであるため、内容理解が不十分になり出遅れ感も生じてくる


これらはすべて主催者である自分がメンバーに任せっきりだった
ことが原因であったということを大いに反省し、体制と運営方法を
見直した

毎週水曜日、班に関わらず全員を対象にとにかく集まれるメンバーが
集まりざっくばらんに話をするということにした
もちろん主催者である自分も参加する

少し不協和音が響きかけたメンバーにまた美しいハーモニーが戻ってきた

簡単なことだった
大切なことは、直接顔を合わせ話をするということ

自然学校で学んだ実体験の大切さ
これは何も自然と人間との関わりだけではない

人と人とのリアルなコミュニケーションの大切さを忘れるところだった
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月14日

第四十三話 - 走り出す -

2008年の初夏、
夢の架け橋実行委員会が本格的に活動を始める

委員会は6つの班で構成、それぞれの班にリーダーを置いた
 1.自転車伴走班
 2.サイクリング企画班
 3.講演会企画班
 4.デザイン班
 5.製作班
 6.接待班

各班はリーダーを中心に任意に打ち合わせをし、全体の実行委員会で
進捗報告・審議・承認を行う

主催者側で予め決めていたのは、おおよそのサイクリングコースと講演会会場、
いずれも岡崎市内である

僕は自転車伴走班リーダーとして、メンバーと何度もコースを走りながら
細かなコースや、チェックポイント(休憩地)、走行方法等を決めていった

まだ寒い時期に、一人走っていた頃を思い出す
今はたくさんの若く素敵なスタッフと一緒に走っている

当時思い描いていた"まだ見ぬスタッフ"が、現実に目の前にいることに
幸せな気持ちでいっぱいになった
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)

2012年12月13日

第四十二話 - 夢の架け橋実行委員会 -

イベント本番は10月12日に置いていた

これから4ケ月、共に企画を練り、イベントを作り上げるため
決めていたことが二つある

その一つは、最初からニックネームで呼び合うこと
早い段階で心の壁を取り除き、年齢や性別、会社での立場等の違いに関係なく
みんなが同じ目線で活動できるようにする大変有効な手段だ

二つ目は、どんな担当であっても、全員が必ず一回は自転車走行コースや
講演会会場といった"現場"を実際に見ておくこと
他の現場のメンバーがどんな場所で活動しているのか、より具体的に思いを
寄せることができることで一体感を生むことができるし、現場を知ることで、
誰もが企画に対するアイデアを出すことができると考えたためだ


この二点に拘ったことは、今でも本当に良かったと思える関係が築けている
そしてこのメンバーに『夢の架け橋実行委員』と名付けた
  

Posted by tatsuya at 00:00Comments(0)